僕はマラソンには一度も参加しなかったけれども
そこは3日に一度は歩いていた界隈であり
そしてあそこは僕にとっては「記憶の街」でもあり
ところがあれから時が経って
nine-elevenやさんてんいちいちがあって
その間の自分や色々の変遷を通して感じるのは
とても複雑な色の感情
悲しみ、怒り、諦め、で表せない何か。
これがテロなのか、特定の国や組織がやったことなのか
それはわからない
ニュースで犯人とされる者の国籍が見出しになったところで、
やはりそれはわからない。
その背景が個人にせよ、集団にせよ、
どうしてこんな事が起きてしまったのか、
どうしたら加害者を生まないようにできるのか、見いだして
破壊や報復や、世論先導や戦争や、誰かの利益や、
そんな、911以降もアメリカが踏襲してしまった愚かな道を辿らないように、
311以降も日本が見てしまっている愚かな視界に騙されないように、
誰かのstrategyにならないように、
みんなが、一歩止まって、考えなければならない
そんな出来事だと思う。
自分は、止まったまま、まだわからない。
ボストニアンとシンクロしたい気持ちと
アメリカの暴走を見張らなければいけないという気持ちが
共にある。