今日はですねぇ…
もしも今見ている視界がやがて数十年後
命の終わりと共になくなるなら
なんのために僕らはこの世界を見てるのだろう
?
記憶や心に転写した世界は何になるんだろう
なんて素朴で物騒なことから
じゃ、どうして、殺されると判ってる「家畜」や
漁対象魚たちには目が備わってて
彼らはどんな世界を見て、何を思って、
何を何のために記録し反応してるのだろう
?
なんて人間勝手で基本的なことをふと考えていた
景色を見たり感動したりって
震えたりって
すごく大事だけど
すごく儚い
これについては断言したくもなるし
「そんな気がする」で止めたくもなる
ともあれ、そんな事を考えていた夕方に
ふと、散歩に出かけたら
その場にいた人たちが
動物の目線についてのお話をしていた
思わず聞き入りながら、途中から割り込んだ
けど、その話には行き着かなかった。
他の話が面白かったから
こういうことって
よくあるんよね
僕の場合
というか
僕でもそんなことがあるから
誰にでもあるのだろうさ、と思っている
シンクロニシティ、が存在するということは
僕らは集合意識の中にいるんだよな
一斉に咲く桜と同じように