生を受けたこの世界に、昨今この情勢、警戒を抱いてはいるが
それでも自分自身はポジティブである。
やれることをやる、しかないのだ。
- 音楽を人と共有できればそれが一番だ -
- 鳴り止まないことが大切だ -
そういう人たちの意思もわかる。それが完全に解決策とも思わない。
(音楽そのものを否定する人がいる限り。そして、その気持ちも決してありえなくはない限り)
が、自分はやれることを、磨くのだ。
—
何しろ、僕自身、昔は音楽がすべてではなかった。
かなり小さな頃から音楽と共に生きてはいたが、
それでも自我に目覚めた頃から中学のある時期までは、
音楽以外のことの方が心を大半を占めていた。
自分が何かに没頭できるなら、無音でも、よかったのだ。
それがあるとき、FMから流れたポップスにスライドしたけれども
その頃は、まさか自分がライヴをしたり、ジャズをやったり、
自分が受け付けなかったロケンロールやフォークを
好きになるとも、これっぽっちも思ってもいなかった。
人は、変わるのだ。
—
だから、人には、いろいろな可能性がある。
—
音楽を、また様々な国の文化を好きになり、
日本のことばも好きであり続け、
楽器を続けている以上、これからも探り、少しでも自分がいい「 」になれるようにと思う。
—
折に触れて、人に言われたことが人生の楔にもなり、傷にもなりつつも
それを溶かし、乗り越えることが
できると思っている。
ひねくれた僕はたとえ音楽でも「分かち合いましょう」なんて言えないが
それでも、そこにいる人たちと、何かを感じることができると思っている。
よい「」であれば。
人の役割のひとつは、アンテナ - 触媒だから。