時間もないのに
やたら「工作」がしたくなるときがある
今はそのフェーズのようで
あの木とあの布とあの塗料があれば
あんなものができるのになと
むずむずしてしょうがない
といっても、木を削り出したら
指も手首も痛めるし、そのことにも忘れて没頭してしまうし
何より他の時間もいくらでも取ってしまうので、たぶん今回「工作」はやらない。
コロナ以降、いろんな人を(ごく狭い範囲で)眺めていると
庭に小屋を作ったり、防音室を自作したり、
いろいろな道具を作ったり、やっぱり作るって人間の大切な本能なんだなと
思ったりする。野菜や木の実を作ることだってそうだ。
だが一方、世の中には物づくりにたけた人がたくさんいるわけで
自分に必要なのはそういった人々にうまくものを頼むことだろう、とも思う。
簡単じゃないんですけどね。
僕は「人を使う」という概念を持っていないし、果たしてどんなお礼が適切なのかも
未だにわからないでいる。
「好きなこと」に関してはなおさらそうだ。
何かをしてもらっても、お返しできてないな、と思うことも多い(誰でもそうかもしれない)。
ある意味、「ものづくり」というのは、「モノ」という実体を媒介するので
わかりやすいのかもしれない。
いくらデジタルな世でも、物の価値って、確かにある。
また、世の中で言われる価値とは別に、たぶんフィーリングの価値がある。
それを見たり触ったり使うことで、何が(心と身体に)起きるか。
それって波動の次元かもしれない。だからいつまでも、人が物づくりをやめることはないだろう。
そんなことを、記号でしかない文字で、精査もしないで、綴る。本日は以上。