~先週~
師匠でもあるお二方のライヴを観れ、多いに刺激を受けた一週間であった。
矢野誠さん、難波正司さん。共に偉大なピアニスト、アレンジャー。
難波さんはLA滞在が長く、実のところ生ピアノのステージは初めて観れた。
矢野さんは昨年の10月、奇聞屋以来。
共に、お手合わせ頂いた事はあったが、
じっくり観れるのは凄く嬉しく、勉強になる。
僕は単音弦楽器奏者で、もともとピアノにコンプレックスはある。
歌にもある。ギターにもある。
…きりがない。
ともあれ、後者二つは自分でもやってみるが、全く手がつかないのがピアノだ。
それでも聴いて判る事、感じる事は多い。
矢野さんのピアノは俳句だ。
「あむ~Chorusing」という2000年の名盤があって、
ここでの矢野さんはご自分の膨大な音楽財産、指向性を極めてシンプルに凝縮している。
声のポリフォニー。
アフロやテクノ、ゴスペルの躍動感溢れるピアノの左手、
印象派的、近代ジャズ的な右手。
これら全てのポリリズム。そして詩世界。
音楽的にはシンプルなものではないが、研がれ方がシンプルという意味。
インプロのジャズでもない、それは作品。
これらの曲を小川美潮さんとのデュオで再現する。
ご本人達、「二人では無謀」ご謙遜、いや確信があっての事。
勿論伝わっている。「あなたにつたえよう」
本当に、鳴り止まない拍手というものを体験して(加わって)しまう。
そして後日。
「あの曲は、どういうわけか、リアクションがあるんだよ。
全くポップなコードでもないのに。」
矢野さん、決して演奏活動やめたらあかん。
いつまでも続けて下さい。
難波さんのピアノは大地だ。
平松八千代さんのライヴの大半で参加される。
歌を立て、潤し、引っ張るのにピアノがどれだけ豊かな楽器か、再び知る。
幾度と聴いたスタンダードカバーがこんなだったんだと、再度惚れる。
原曲も含め、今迄で一番力強く感じた「It’s Too Late」。
「Don’t Know Why」なんて、ハプニングで2バージョンも聴けたけど、
全く違う方向性で、舞台が変わる。しかもこれは即座の決定。
今回の来日は映像音楽だそう。判る気がする。
ふと同席した、フランクだけど教授だというアメリカ人の方、
「ヘイ、彼はこないだ会った時はTom Waitsみたいだったんだぞ、
びっくりした、どんな音楽も知り尽くしたヴァーチュオーソだ。」
難波さんはシンセ、オルガン、シーケンサーの巨匠。
矢野さんはムーグやオーバーハイムの先駆者でもあり、
ポリスが出た頃にはやりたい事をやり尽くしてしまった人。
だけどピアノで、「いま」観れてよかった。
これら尊敬する人達とまた同じステージに立ちたいし、
一緒に音を記録したいと願う。