なぜかNHKを観ながら過ごした週末
書聖、王羲之の書に迫るという番組をやっていた
自分のひどい筆才は横に置いといて、興味深いんだけど…
博物館が所有する原本を傷めないように丹念にトレースし、
そこから書の勢いや力強さを再現すべく、内側を筆で書いて行く。
うーむ。それもとてもいい勉強なんだろう…
でも、素人だから言うけど、そんなの、所詮サンプリングじゃん!
その出来上がりが原書に肉薄してたか、勢いが足りなかったかなんて
番組の最後に採点していたけれども、
それがどれだけくだらない議論か、プロのこの人たちはちゃんと、わかっててやってるんだろう。
そう思っておこう。
真似る努力に、価値を付け過ぎると大変だ。
Marcus Millerが、どんな風にフレーズを弾いたかなんて、
本人に会ったときもそんなに気にしてなかったし、
Andy Summersは昔エッセイでこう書いてた。
「音楽は、録音されるべきものじゃないんだ」
そんなこといっても、こうした「努力」を、みんな止めないんだろうけれども。
映しだされた書体の中には、たぶんみんな真似しないんだろうなという字もいくつかあった。
これらはサンプリングされないんだろうな、と思った。
世の中のサンプリング音楽が根本的につまらないのは、
こういうところだと思っている。
デジタルのキャパ増大と共に、
どんどん、「揺らぎ」の幅は広くなっているけれど、
どこを意識的に見てるか、見えないものをそのまま捉えてるかどうかは
アナログやアコースティックとの根本的な差やもん。