蒼い山で再び月と伴星を見る
久しぶりに、ブラウン管のテレビのある部屋へ
男の子と 技術者と思しき方
ふと つい先日違う場所で聞いた話が出てくる
どうやら「ブラウン管が発していたあの高い音」は、トランスによる水平同期音、らしい
音量を下げても気になっていた 遠く離れても気になっていた あの音だ。
子供は特に気になるはず だけど今の子供達はブラウン管自体に接する事が殆どないので
やがて誰も気にしなくなるのだろうか それとも余計に気になるだろうか
調べればこの音は、加線が15もあるBの音とほぼ同じ
このB9が年がら年中、どこでも鳴っていた日本、
年齢やテレビの性能により程度の差はあるだろうが、集団心理にも多少は関わってたんじゃないのだろうか?
近年、テレビの視聴率低下が著しいとか(視聴率測定、自体、根拠と精度のよくわからないものだけど)
言うけど、なんだかある程度はこのB9が影響していたんじゃないかな、なんて思ってしまう。
つまり、特に子供や若者において、「見ろ」「見続けろ」っていう無言のメッセージがあったんじゃないかな。
そこにサブリミナルな意図があったかはともかく、
見たいわけでもないのに、ブラウン管をぼーっと見つめてた人、多いしね。
今の液晶だとそんな音は出ない(はず)なので、いくら大画面化しても、
テレビ自体の存在感、って、薄くなってるんじゃないだろか。
見たい人は見る、見たくなきゃ見なくていい、みたいな。
いやはや、奥行きと存在感は、比例、なんて。
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携帯電話やスマホ、これらにもぜったい、何かある。
電車の中でもあらゆる人を阿呆にしてしまう何かが。
(ところが当人達は、僕も含めて賢く「スマートに」なったと思っている)
スマートフォンって、多分、スマートに人間を操ってる道具なんだ。
それって、15.75kHzの根拠=水平解像度525本…からかなり進んだ筈のRetinaディスプレイなんだろか、
それともその裏にある、A4やA5プロセッサなんだろか
自然にかえりたいよと思うけど 自然は大きすぎて
かわりに電子と波動にとりつかれてしまってるよ
人間ってほんと 小さいね
(なにを偉そうに)