アーカイブ: 2024年8月20日

偶然はどこから

「符合」に僕は弱い。
なにかとなにかが、全然関係ないところから同時に飛び込んできたりすると、おどろき、そのあとたいてい嬉しくなる。

それは感受性(アンテナ)の問題かもしれない。
本当は世界に偶然なんてなくて、
単に、当然のように流れている波を、アンテナが部分的にキャッチし、
それに驚き、ついでにそれを捉えたことを手柄と思っている、みたいなことかもしれない。

ソメイヨシノは一斉に咲くし、虫は一斉に鳴き出す。渡り鳥は巡る。
彼らは当然のように、太陽と月と地球の(木星もか)運行から生じる光や風や、熱や冷気や、生や死を感じ取り、自然に活動しているだけなのだろう。自然として。

人間でいえばテックや政府や、いろいろなメディアがいつも大量に波を送っているのだから、それを部分的にキャッチするのは、取り立ててすごいことでもない。鯉が撒かれた麩を食べているのと変わらない。

それでも、気になっている事柄が、百年近く前の出来事として書かれた本にたくさん載っていて、それをたまたま店の書棚で見つけて手に取った、というのは、僕のこの夏を少なからず潤してくれた。

救ってくれた、のかもしれない。実際、この本を読む時間以外は結構ハードワークだったから。

– これも誰かのキュレートなんだろうけどね –


アフリカは静かなところ、静寂を知るものが生きられる場所。

なんとなくイメージで、アフリカ 〜 砂漠 〜 サバンナ 〜 常に賑やか みたいなステレオタイプがあって、
アフリカ音楽、っていうと、パーカッシブで掛け声が続いて、全員が踊り出さずにいられない、みたいな。

その一方、僕が思い描く、好きなアフリカ音楽というのに、とても静かで繊細で、ゆっくり、でもすばやく、という印象があって、なんというか折り合いがつかなく。でもまぁ、もういいや、みたいに思っていた。

僕はアフリカに行ったことはないけど、
昔からアフリカンダンスが好きだったり(できるという意味ではない)
エピゾ・バングーラさんという、ギニアのグリオ(語り部)である、マルチプレイヤーの音楽家と、何度か一緒したことがある。
彼はジャンベもバラフォンも叩くし、唄い踊るし、その爆発力はすさまじくて、
でもコラ(アフリカの琴、瓢箪に竿がついていくつも共鳴弦が張られている、チューニングが超大変)を奏でるときは、こんなに静かな、止まったような時間が存在するんだ、と、そこにいるみんなが思う。

そんな感じで、僕がワールドミュージックを好きになるのは、むしろ静けさだったりする。
静かだから、色々なものが聴こえる。結果、賑やかになる。


これは僕自身の感じ方であり、音楽にしても世界にしても、とらえかたは結局、ひとそれぞれ、ということになるのだろうけど。

でも、冒頭からこの本は、そのことをすごく言語化していて

家畜は決して野生の動物のように静かにはできない。

文明化した人間は静止する力を喪失しているので、
野生の世界に受け入れてもらうためにはまず沈黙を学ばねばならない。

脈絡がわからないのにいきなりパラレルで比喩が飛び込んできたり。

これはカメラを使う場合なおのこと重要だ。狩猟家は自分流に行動することはできない。

風と合体し、風景の色や匂いと同化し、自然のテンポにあわせてアンサンブルをつくらなければならない。

自然はおなじ動きを何度となく繰り返すことがあり、狩猟家もまたそれに従わねばならない。

ひとたびアフリカのリズムをとらえれば、それはアフリカのすべての音楽に共通していることを体得する。この国の動物から学んだことは、私がアフリカ人とつきあうのに役に立った。

後のケニヤ、アフリカ東側の丘陵地にコーヒー農園を作り、17年間頑張った末にアフリカを去ったデンマーク人女性、カレン・ブリクセンの手記。ノンフィクションとも、脚色とも、とれる。

農場の経営者、すなわち「土地の人」を支配する白人として暮らしているので、そこかしこにぎょっとする内容も記されている。当時の倫理観、力関係なども結構あらわだ。

ひとまわり、ふたまわりして、こういうことは自分たちの周りにも起こるんじゃないか、と思ったりもする。

五百頁強、感心するような話ばかりではない。失い続ける話でもある。でも示唆に富んでいる。

そして彼女の想像力とたとえばなしの飛翔は、なんという。

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