カテゴリー: poetry

undoo

いたひとが、いない

そこで、右2mにいたひとが、いない

よそうのかいわをしても、よそうがいのことばが、かえってこない

でも

それでもかれの かたちは そこにあって

そこなしで

かぎりなく かぎりある

じんせいを ぼくはかんじてる

だから かなしまないでと だれかにいう

ありがとうと その高円寺の空間に いう

宮崎の大地に いう

おいのりします ごめいふくを

フジマル◎ヒデミさん

このときは右1mだったな

おうどうとほこり

世界は王国だけじゃない

王様がいる世界なんてお伽噺だけのこと
…でもないけれども

少なくともこの国には王様はいない
いや、随分長いこと、日本に「王」は居なかった気がするのだが
額田王とか、そういう

ちがうか
しかしなんで、日本語を話すぼくらでもこれほど「王」という言葉が身近なのだ

世界は王を求めているのだろうか?

宮崎駿の「風立ちぬ」はまだ観ていないけれども
彼の作品は大人になって、いろいろな見方が出来ると判ってから
好きになった

子供の頃は「カリオストロの城」ぐらいしかピンと来なかった
「風の谷のナウシカ」は惹かれたけれども意味が分からなかった
他は、画がかわいすぎたのか、ヒットしすぎてたのか、敬遠した

今では、原画スタッフで関わった「空飛ぶゆうれい船」から
「未来少年コナン」からルパンの「死の翼アルバトロス」にしても
「ハウルの動く城」にしてもとても深いものだとわかるけれども(遅いか)

しかし中でも一番強烈なのが漫画版の「ナウシカ」で
この後半部の展開は現在露わになりつつある実世界の枠組みに
恐ろしいほどに迫っていると思う

そこでは幾人かの「王」が登場する

森の人の王、エフタルの王、トルメキアの王、土鬼の王
そして蟲の王

無垢を意味する巨神兵の「オーマ」も(「オーム」との類音だけでなしに)
王を想起させる

まぁ、なんで宮崎作品では重要な配役がことごとく王子や王女ばかりなのかと
そういう疑問もあるのだ
民衆の殆どは、王家ではないのに… なんして、これで支持を集めてるの? ってやつだ

おれらって、届かない権力者に憧れて、結局支持するの?
みたいな

ともあれ
彼ら、彼女らは「誇り高い」とされる

「誇り高き」「気高き」という形容詞が、たとえ争う敵同士であっても共振させ
結びつけるという鍵にはなっているようだ

ふぅん

たぶん
それには同意なので
無理矢理理由の一つを掘り出せば

おれらって、自分の王であるべきなんだよな
現実の身分に関わらず
…ってことなんかな

与えられた生を最大限に全うする
それって多分、自分に対する王道なんだろうな
と思う

社会的には「誇り」って何かという大きなトラップがあって
だったら軍事力を増強すればいいのか、だったら周りをサゲればいいのか
カネ撒いて嘘をついて目隠しイベント呼べばいいのかとなりがちだけれども

ボロボロの中でも誇りを持つ
時にはボロをさらけ出すことが
実は誇りなんじゃないかなと

そんなこと思う
2013のあきである

たてがき

丸形のカレンダーも星座表もあるらしい
ま、そりゃそうだ。それはともかく…

自分自身は横書きに慣れているし
コンピューターの制限上の不便も感じた事はそれほどないけれども

日本語はやはり縦書きだと思う

これは言葉のはなし。

いつからどうなったのかわからないが
物事は左から右に進むように、少なくとも値が高くなるように
設定されている事が殆どだ。

グラフ、ピアノの鍵盤、エレキベースの指板-右利きならば

ベースの場合は、弦が変わる毎に面白い「改行」をするのだけど
「時間軸」が右にスクロールしていく、っていうのは
ビジネスでも勉強でもDAWでもだいたい既成事実化されている。

どうなんだろう
日本語ならば、音楽は縦書きでやればどうなんだろ
邦楽の楽譜には慣れていないけれども

作曲法だって、縦書きでやればどうなんだろう?
重力の感じ方を、今までと違って感じられるんじゃないだろうか?

もともとあった、間と重力、段落の重みみたいなものを
思い出せるんじゃない?
みたいに

すごくテキトーだけど、半ば本気に
思っている。

きれいなめ

どうしようもなくおちてく目
本人の意志とは関係なく
本人の意志を反映して
映し出す

めのきれいな人を愛おしいと思う。

このまま
このまま

すでにうつろいはじめている目の
ながいながい時間との旅

まわり どうこう じゃない

何を感じようと
何を見ようと

それは ぽてんしゃる っていう位置を超えて
すたーとらいん っていう地理を超えて
うちにそとを すべて

たたえる 湖みたいなもので

どんな音が流れたとしても
左右されないぐらい
ずっときれいで

むりだね
そればかりは

きみならともかく

いぬがかけてゆく

こんな雨模様に
頭から離れない旋律というと

金延幸子の「み空」がある。
アルバムとしてもとても好きな作品だ。

ブリティッシュ・トラッドフォークのような色も濃いけれども
この人が関西人だな、と思う瞬間がある。

「いぬ」

イントネーションと
旋律は
こんな風にちょっと関連があった方が
僕は好きだ。

意識してるにせよ、しないにせよ。

ふまれ、かたまれ

わたしはアスファルトなんだが
いま君が通過していった。

ちょうど私の友の友の友の…があっちにいるので
知らせておいたよ。

なにしろ固体の連結だから、スーパーカーなんぞわしらの伝達にかなうわけないさ。

次の信号の手前の、坂がちょうど終わったあたりで、
その気になればべろべろと巻き上がって、おどかす事もできる。

自転車なら手加減するがな。

あーあ、
わしらには昼も夜もない。
ずっと鈍色なのさ。

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