カテゴリー: book

ガラスとアクリルとサイドウォーク

5.14 Sunday 母の日

絵本の店キルヤ 14周年企画
ガラスと木箱とことばたち
〜くうそうの音楽会〜
近藤零 ベースひきがたり

お越しくださった皆様、ありがとうございました。
場所そのものが ガラスと木箱とことばたち、のキルヤで
たっぷり演らせてもらいました。

これは準備中
ふたつの木箱と ガラスならぬアクリル譜面台…DIYなり

このあと本番は
ビデオをスタートさせたつもりが写真モードになっており
撮れていませんでした。
いつもこう…まぼろしです

それはさておき

キルヤはとても居心地良く
皆さんを見ているのも楽しく
はじめての17曲(篇)含む2ステージ
合計でいえば27篇
楽しませてもらいました。
Thank you !!

セットリスト

1st
宝石~硝子のない世界~トランスフォーム~ちいさいきこえないおと
Little Italy (Stephen Bishop)
ラピスラズリ3
みつかったぞ
Alba
満たされるつばめになってくれ。
– 換気と小休憩 –
シナモンニッキロール
Where The Sidewalk Ends (Shel Silverstein)
矢印 (onoroff)
つぐみ
あかりをつけたら
~ encore いただいたので
Fish Dancin’ (種ともこ)

2nd
Man in a Shed (Nick Drake)
るびーどろぼう (insp. by Thelonious Monk)
アクリル
Yesterday Morning
ガラスのジゼル (Beatrice Alemagna)
– 換気と小休憩 –
Martha My Dear (Beatles)
No Difference (Shel Silverstein)
Loft & Found
あなたにとどけよう (矢野誠)
Atto In Ma Ni
~ encore いただいたので
でたらめ恐竜シルエット
Quick & Slow

今回は好きなカバー曲も多めに、オリジナル、詩、そしてベアトリーチェ・アレマーニャとシェル・シルヴァスタインと絵本と詩集を、僕のベースと声で表現しました。

シルヴァスタインは「おおきな木」や「ビッグ・オーを探して」の作者としても有名ですよね。
この “Where the Sidewalk Ends” (邦題: 歩道の終るところ)は最近まで知らなかったのですが、日本人にはちょっと刺激が強い? なイラストや展開もありつつ、すごく触発してくれる詩がいっぱいの、絵本〜詩集です。
今回は表題詩ともうひとつを取り上げました。

なんで英語版を買ったかというと、英語教師のお兄さんのお薦めもあったのですが
Sidewalk、という言葉が、いつからかすごく気になっていて

Alan Hampton のアルバムタイトル Moving Sidewalk とか(彼は風貌もどことなく Silverstein 似)、今日カバーした S. Bishop の Little Italy の一節とか、まぁ作品それぞれは1970年代、2010年代、とバラバラですが。
このキルヤも含め、多くの店や会場は、「歩道」に沿ってるわけで。

“side” っていうことはメインは車道なのだけど、それも今後、人類的にずっとそうなのか? とか
昔からかねがね綴ってますが「アスファルトってなんだろう?」 とか。

「子どもたちは知っている、そして矢印をつける」

そう。でも子どもたちだけじゃなくて、大人も子どもも動植物も、想像力の連鎖、ですよね。

アスファルトも走る。人も走る。自然もやみくろも電子も。

ベアトリーチェ「ガラスのジゼル」や、その他の曲についてはまた書きたいと思います。

 

くうそうの音楽会

素敵なフライヤーを作っていただいたので、あらためまして。

絵本の店キルヤの14周年にちなんで、5月14日の14時と16時からソロのライヴをやらせてもらうことになりました。
(ほんとの14周年は5月16日らしいです)

のどかな時間が流れクリエイターが集まる街、浜松の絵本専門店キルヤさんまで、ぜひお越しください。

ガラスと木箱とことばたち
– くうそうの音楽会 –

近藤零 ベースひきがたり

2023 5.14 sun

2ステージ(約54分 入替制)
1st 14:00 〜
2nd 16:00 〜
各回10名

入場料 1,500円
(小中学生 1,000円、未就学児 無料 ひざの上)

ご予約はキルヤさんへ

絵本の店キルヤ
ehonnomise.kirja@gmail.com
053-477-2687
静岡県浜松市中区紺屋町300-10

* コロナウイルスの感染状況などにより中止・延期の場合があります。
* 各回途中、換気のために入口のガラスを開けます。

flyer designed by soko hoshino

構想と空想

ソロライヴ

何をやるか
構想中です

ふと名付けたタイトルに
素敵なフライヤーや
最近食べたもの
話したひと
けしき

発酵させてます

オリジナル
カバー
即興

メイン楽器は
アイコン写真の
アコースティック
ベースギターなのだ

とても小さな絵本屋さん
これも置けるかな?

ちなみに左下に並ぶ CD
誰でしょう

5.14 ガラスと木箱とことばたち

絵本の店キルヤ 14周年

ガラスと木箱とことばたち
– くうそうの音楽会 –

近藤零
ベースひきがたり
2023 5.14 sun

2ステージ(途中換気あり)
1st 14:00 〜
2nd 16:00 〜
入替制 各回10名

入場料 1,500円
(小中学生 1,000円、未就学児 無料 ひざの上)

ご予約はキルヤさんにて、メールまたは電話にて受け付けます。
お名前、ご希望の時間、人数と共にお知らせください。

会場
絵本の店キルヤ
https://kirja.exblog.jp/
ehonnomise.kirja@gmail.com
静岡県浜松市中区紺屋町300-10
053-477-2687
火水定休

* コロナウイルスの感染状況などにより中止・延期の場合があります。
* 各回途中、換気のために入口のガラスを開けます。

はるのしょか

ちょっとした用で、久しぶりに名古屋に。

矢場町から栄まで少し歩いたのですが、緑、多いですね。
久屋大通公園というのか、その南側というのか。

最近整備されたという方? …じゃないっぽいので、あまり突っ込んだことは言えませんが
あれだけの高さと量の樹木を維持できているというのは、いいなと思いました。

北側がどうなっているのか、また次回歩いてみたい。


合間を縫って、今池へ。

3年半ぶりに寄れたリチル。
時間がゆっくり過ぎる場所に僅か10分ほどの滞在でしたが、とても満足。
空間が最高だし、珈琲もお菓子もさすがです。

前回来たのは、Carlos Aguirre 公演をボトムラインに観に来た2019年。彼の改造フレットレスベースと歌がすばらしくて。

Babi-Chan がこのエリアにないのが残念。いつか常滑行けるかな。


蜻蛉返りで別の用を済ます。難しい。日程がたてられない。

動きそうで動けないのはとてももどかしい。だけど地道に、準備をするのだ。

十九世紀 北米への旅

フレデリック・ロー・オームステッドの伝記を読了。

五百頁、二段組はさすがに時間がかかった。

膨大な登場人物を把握するだけでも、
あと二周は必要かもしれない。

都市と田舎と自然をつなぐ空間構築(いわゆるランドスケープデザイン)
そしてその代表として、マンハッタンのセントラルパークが主題。

とはいえ、この人の背景や仕事の変遷もあって、
米国史、奴隷制と南北戦争、労働環境、議会や富豪、パワーゲーム、農林業、出版、教育機関、本人や家族の成長記、さらに肉体と精神面にかかる介護や医療も含む、壮大な記録。

示唆が多すぎるほど。
二十一世紀においても。おそらく多くの人にとっても。

オームステッド セントラルパークをつくった男
Witold Rybczynski 著/平松宏城 訳

樹木的時間

三月も 半ばを過ぎる

日々 忙しく 充実していないわけではないが

やるべきことの半分も できていない

壁に貼った 自転車に またがる自分の

空想に 託してみたいが


子供の頃 年上の人たちに

長いスパンで物事を考えろ 6年後 12年後 20年後を考えろと言われ

どうしてもそうなれなかったのを ふと思い出す

そんな先のことなどどうしてイメージできる 今以上に重要なことがあるか

など考えていたのだと思う

“Don’t trust over Thirty” や「人間五十年」を 半ばマジに信じていたこともある

その頃のことの良し悪しはともかく 今ようやくにして

図らずも 長いスパンでしか時を捉えられなくなってきたようである

つまり こちらが1ヶ月ぐらいに感じていることが実際は3ヶ月

1年が3年…

まぁ それもまた よしかもしれない


ページの非常に多い本を先日から読んでいる これまでなら放り出したぐらいの文量なのだが

これはと 時間をみつけては読み進む

漸く 残り50頁ほどになった

後半になるにつれて 実際に自分が歩いていた 湿地公園の景色が思い出され

中断しなくてよかったと思っているところである


先ほど書いた「敦盛」は

「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」

ということで 昔思い込んでいたものとは 意味が違うようだ

さすれば

平敦盛や 織田信長 今川義元の時代の寿命を大きく超えた 現代では

いや この尺を引き延ばす というよりも

じんかん ごじゅうねん をこえれば

かてんに ちかづく のかもしれない

たとえば じゅもくのじかんが すこしは わかるのかも しれないな

るいをよもう 23

ふと、宿場町で入ったカフェで興味深い書籍を見つけ

購入する。

壁際の小さな机を陣取った、とても分厚い、辞書のような本だが
その佇まいが読ませようとしてくる。なぜだろう。
しかも、その一角をよく見ると…

僕は昨年一年、ほとんど本を読まなかった。
ベースにほぼ触らなかった、人にほぼ会わなかった、だけではない。

radio sakamoto のアーカイブを聴きながら「秋には読もう」と嘯いていたのも束の間のこと。気がつけば冬も終わる。

かわりに、いくらか頑張って楽譜を読んだ、が。

そろそろ読み出したくなっている。

まだ読めていなかったタルマーリー渡邉格さん、麻里子さんの二冊目の著書
『菌の声を聴け』
を漸く買うことができた。こちらは昨夜一気読みしてしまった。

格(イタル)さんは文才もあり、何より生き方が型破りなので、すいすい読めてしまう。
(あとから聞くと、だいぶ麻里子さんの推敲も入っているらしい。たしかに女将は人に伝える達人でした)

那岐の古い保育園を改装したすてきなパン屋さん、タルマーリーは
今や地域と自然循環の旗手でもある。もちろん彼らだけがやっているわけではない。
スタッフ、地域の人々、そして全国の人々が、農薬や肥料に頼らない食料の生産と供給のため、尽力している。

時はたち、その保育園で食べることももうできなさそうだが、彼らは彼らの宿場町で、先をいく。

一方で、一回の空中農薬散布や、一瓶のラウンドアップは、どれだけ本来の自然を破壊してしまうだろう。
田舎や地方都市にあっても、この一瞬も山は削られ工場となり、海岸は埋め立てられていく。

個人や零細、中小企業のやっていくことを、行政や大企業は助けることもできるし
一気にぶち壊すこともできてしまう。
太古からずっとそうであったし、今はよりそれをはっきりと感じ取れてしまう。
「どちらもできる」ということが「力」なのだろうか。人は「力」をどうして持ちたがるのだろう。なにが「突破力」だよ。

ともかく、力が好きじゃない僕は、力を持つことも、持つために立ち回ることも苦手だ。

「戦わないための力」というのは、政府の詭弁だけじゃなく、個人にも当てはまるのだろうけど、

どうしていいか、未だにわからない。

だがそれとは別に、力を発揮している個人や面白いことをやる企業には、やはり惹かれるものがあるし、応援したくもなる。それは自分がそうならない = けしてなれない、からでもあるのかな。

ともあれ。

分厚い本、少しずつ読んでいる。あるアメリカ人の生い立ち、地域や人々の歴史的背景、事細かに記されているのでとても時間がかかりそうだが、これはしっかり読破したい。

MBP の電池が切れるので、これまで。

2月が終わる。

エメラルダス…

松本零士さんは反面教師的にも含めて
とても大きな存在だと思い。

ほぼ誰もが影響を受けた、(と僕は思っていた)
「ヤマト」と「999」

ヤマトが描く兵器や戦闘シーン
地球の代表を日本人が担って
こともあろうに戦艦大和で隣の銀河に行くという
敗戦後の日本人の欲求不満を曝け出したようなストーリー

ひどいものだと思います。
平成以降の目にはとても。
それでも子供のころ、夢中になって観ていた。

そこにはいろいろな説得力があったのでしょう。

勇ましい音楽や
気分を鷲掴みにする効果音
映像もキャラも
無駄を省きすぎたコスチュームの女性たちも

ステレオタイプだったけど、つかまれてしまった。

これから先しばらく、ヤマトの再放送が何度もされる気がします。
そして、軍拡や国威に利用されるかもしれない。

松本零士さんがかつて日本人の心を掴んだのは間違いない事実だけど
これからの捉え方は、すごく気をつけた方がいいな、と僕は思っています。

でも、彼の作品はヤマトだけではない。

999に込められたメッセージはとても深い、と思う。

それは、話が勧善懲悪みたいなものではないから、よけいにそう感じる。

残念ながら、メガロポリスや機械化惑星で描かれてきたことは
現実になりつつある。

それはマトリックスやTHX1138や、たぶん沢山の作品で描かれたこととも
共通しているとは思うが

AI と監視カメラ、マイナンバーで完成に近づく超格差、超管理社会。

家畜として飼われる生身の人間は、やがて狩猟され、採取され、養分のカプセルとなる。
あるいは「ネジ」となる。

コロナの中で、シラけた民意を無視してオリンピック開発を進めたトーキョーには
それがダブらずにいられない。

申し訳ないけど、3年近く東京から離れていると、冷めた目でそう見えるものだ。

メーテル。

永遠の女性、みたいなシンボリックな人だが
この界隈は「メーテルは筋が通ってないから、あかん」という評価だ。

エメラルダスがいい。

と、いつになくエメラルド色の湖を眺めながら思った月曜日。
氏はエメラルドが緑色と知らず、彼女のテーマカラーを赤にしたらしい。

あまり人気のなかった「千年女王」を、十年ほど前に観たのだが
あれが結構面白かった。

何が面白いって、政府や科学者たちの隠蔽っぷりだ。現実と物凄い既視感なのだ。
そして、雪乃弥生の姉のセレンが、かっこいいのだ。

あのラーメン屋の娘さんは、やがてプロメシュームになってしまう。

作品同士の繋がりがコロコロ変わったり、死んだキャラがすぐに生き返ったり、
かなりはちゃめちゃだったが、松本零士ワールドは
これからも生き続けるのだろう。

僕らにとっても、教師であり反面教師であり続けるのだろう、と思う。

ハーロックや古代進には憧れないが、トチローはいいなぁ。

konoyuki

2023年1月を振り返る。二度と帰ってこないこの月。

悲しいことも、楽しいこともたくさんあった。

中旬。目に焼きついているのは三重の山間の光景。鋭角的な峰と川縁。

Spectator の揃った本棚。好きで僕も数冊買い溜めたけど、知らない号の方が大半。

ハートにささる、悲しくなったね。

だけど、何をすべきか、いや、全くもってやり足りないし、追いつかないけど、

やっていかねばならんかは、感じさせてもらってる。

コーヒーとカンパーニュ、最高の時空間と、ルーツへの旅。


年始に遡って。今年はまた楽器に向かってる。

昨年、正直ほとんど触らなかったベース…たまに録音に望んだぐらいで…に

今年は元旦から、真面目に向き合ってる。ことにダブルベースはゼロからやり直しているところ。

そしてアイリッシュフィドル。やばいぐらい楽しく、勉強になる。

人前では Taylor のアコースティックベースをメインにしている。ポーズだけじゃなくちゃんと。
どうせ誰とも違う形でやるのだから、これまで会得したベース奏法を、束縛なしで進めていこう。

…今月は一度もドラムに触れなかった。ハイハットも、直ってきたキックも。


そして下旬。二度と人前で演奏しない、と半ば決めていたのだが、

誘ってくれた人の人柄か、ベースでの合奏と、自分の演し物と、両方させてもらった。

演し物というより、「流し」ですね。

ここへ来て、自分に必要なのは、どんな大きなステージよりも、見知らぬ人の中での「流し」ができることだと思っている。

まだできない、ということもわかっているが、それでもそろそろ、やってこう。
ストリートにいれない誰かの、どこかの部屋の、流し。リクエストを受けない、変な流し。

アンサンブルってなんだろう、バンドってなんだろう。
昔あのとき、バンドの彼はどうしてああ言ったのだろう、なんかそんなことが色々、
ここへ来て、腑に落ちてくる。

一人と、人と。

二日前は半月だったんだな、と思う。

列車で遠くにいくことなんか、これからあるのかな。わからないな。

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